誰かのために時間を費やすということ


ついに私ははてなブログに手を出してしまった。



きっと一日で飽きてなんにもなかったことになるだろう...と思いながら、二日酔いによる頭痛と戦いながら書いている。




初めて書くからこそ、自分のことを考えてみたい。


私は、約20年間どうやって自分と向き合ってきたのだろうか。と二日酔いの頭痛の中考えていた。





今の仕事をするまでに至るまでの、進学や就職に関しては努力も苦労はしていない。


全て、気がついたら決まっていてそのまま進んできたからだ。


こうやって見ると、何一つ苦労せずに生きてきたのだと思う。






その反面、他人からの自分に対する評価は人よりも敏感だ。



私には、同年代の親戚が多い。

母方の親戚が県内1番の高校へ行った時や帝国大学へ進学した。また、父方の親戚が看護師学校へ進学した。


その事を聴いた時の私は、親戚の集まりを全て理由をつけて行かなかった。



お盆や新年の挨拶、曾祖母の葬式までも。



何も苦労も努力もしていないから、親戚よりも悪いのは当たり前なのに。


そんなことから目を背け、「優秀な親戚がいるからみんなからバカにされる...」「母と父に恥ずかしい思いをさせている...」と思い集まりから全て逃げていたのだ。






このようなこともあり、数年前、私は普通の人よりも承認欲求が強いことを知った。



私は普通の人とは違うのだ。誰よりも汚い。そんな私でも認めて貰いたい、褒めて欲しいという気持ちが人一倍強い。


普段の私は、「誰かに認めてもらいたい」「信頼されたい」「優等生で思われたい」「いい子で居なきゃ」「量産的な人になりたい」ということで頭がいっぱいになる。






結局、他人の目線と評価を気にして生きているのだ。

自分の承認欲求を満たすために。





困っている人を助けるのは当たり前、頼まれたことは断らない。先生や親、大人に信頼されることが一番大切。









みんなから愛されるようなヒーローにならなきゃ。









そうやって、優等生のフリをしている。

中身は人よりも汚く、劣等生なのに。











誰かのために時間を費やすことは、自分の承認欲求を満たすためでもある。














そんな汚い気持ちのために、私は生きていたくない。














そして、自己嫌悪に陥ってお酒に逃げている。

二日酔いの頭痛はより一層酷くなるばかりだ。